AIは形を決めてしまう打ち方を好む。必要なく可能性を狭める様な利かしを打ってしまう傾向がある。
かつて「決め打ち」と言えば小林光一名誉名人の代名詞だった。まだ決める必要が無いと思える利かしでも、どんどん決めてしまう。そして勝つ。
小林先生は修行時代に呉清源先生の碁から多く学んだと聞く。
いまAIが採用している新手法のうち、呉清源先生が推奨していたものは多い。
そこには呉先生の碁の強さ、凡人には見えないものが見えていた事以外に「形を決める」考えも関係あるのでは無いだろうか。
囲碁において、僕らは部分の最善を探して手を選ぶ事が多い。
いまこの部分を打つと決めたなら、その部分でどの手が一番得になるかに拘って考える。
それは全局をシミュレーションする事より、人間にとってずっと易しい。
部分の最善として考えれば、可能性を広く残しておく手が得になる。
後の状況に合わせて、右からも左からも道を選べるようにしておくのだ。いま決める必要が無い利かし、意味もなく選択を狭める手は「損になる手」だと考える。
だが理屈として明確な損だと言い切れたとしても、実際には損が実現しない可能性も高い。碁盤の広さ、1局の長い道のりからすれば、ミクロの話とも考えられる。
そこを大きめに割り切って「決めて」しまえば、可能性を残す進行より必要なヨミの範囲が狭くなり、自分の想定通り進め易くなる。
その方が碁は勝ち易いと、前出の両先生は見抜いている感じを受ける。
AIの碁に不要に思える利かしが多いのも「想定し易さ」に関係が無いだろうか。
AI達の碁は部分で碁を判断しない。細かいことを気にしない。勝つ事以上の最善にこだわらない。
我々は細部に神経を尖らせながら、おそらく大所で易しい間違いをしているのだろう。